始まりの旅路:紫鶴&藍璃


 思い起こすのは私たちが出会った秋の日。私は自室の窓から触れられない紅葉を眺めている。あなたは庭で白い双子と遊んでいる。

 その光景を見たくなくて、紅葉だけを記憶に残したくて、そっと障子を閉めた。私は紅葉の赤にも、空の青や紫にもなりたくはなかった。私は私。ただ一人、母に愛された私だけがいればいい。

 あなただけは、今でも私を愛莉(アイリ)と呼んでくれる。あなたと歩く道が、私の知らない世界に続いている。それだけで私は幸福だ。

 

 

 

――愛莉?どうしたの?」

 

 はっと目を覚ますと、ごとごとと揺られる馬車の中だった。どうやら眠っていたらしい。視線の先には、私の恩人、愛しい人。彼女と旅をして、知らない場所を巡って知見を広げることが私の何よりの楽しみだ。

 

「寝ていたみたい。おはよう、紫鶴(シヅル)

 

 彼女の笑顔を見ると私も自然と笑顔になる。幼い頃の夢はあまり好きではないから、目が覚めて彼女がいてくれるととても安心する。もう私は紫鶴がいないと生きていけないかもしれない、そうまで思えてくるくらいなのだ。

 

「おはよう。良い夢、とは言えなかったみたいね」

「あなたと初めて会った日の夢を見ていたけど、あなたに会う前に目が覚めたから」

「起きていれば本物の私がいるのに、不満?」

「あの頃の紫鶴は可愛かったからたまには会いたかったの」

 

 そう言うと紫鶴は不満そうに口をすぼめた。こういうところだけ子どもっぽいところがずるいと思う。だってかわいい。

 幌の外は薄暗くなってきている。もうすぐ目的地に着くだろう。今、私たちはここらへんの地域で一番大きい都市だという交易都市リューンを目指している。旅の終着点は二人で静かに暮らすことだが、それには当然資金が必要だ。

 だから私たちはまずリューンで何かできそうな仕事を探す。大きな都市ならば、できることは必ずあるはずだ。

 

「お嬢さんたち、もうすぐ村だ。リューンまでは乗って行かないんだろう?」

「はい。一泊して、リューンまでは歩いていくことにします。……ところで、リューンで仕事を探すとしたらどこにいけばいいですか?」

 

 問われた御者はきょとんとした顔で、冒険者ではなかったのか、と私たちの顔を見た。冒険者、聞いたことのない職種だ。紫鶴の顔を見るが、彼女も知らないらしい。そういう顔をしている。

 

「すみません、初めて聞いたもので。その冒険者というのは?」

 

 御者の語り出した冒険者というのは、なんて危険で不安定な仕事なんだというのが第一印象だった。魔法の心得がある私だけならともかく、弓や小刀を扱えるとはいえ器用なだけの紫鶴には危険すぎる。紫鶴は私だけこの仕事をすると言っても許さないだろうから、答えは一択。

 

「ありがとうございます。それで、リューンに他の仕事斡旋所のようなものはありませんか?」

 

 

* * * * *

 

 

「ほんっとうに、ない。まさか門前払いとは」

「思った以上に異国の娘二人に世間は厳しかったわね」

 

 翌日、リューンでの仕事探しは全敗という苦い結果に終わっていた。時期が悪かったのか私たちが信用できなかったのか。原因はほぼ間違いなく後者であることは考えなくても分かる。

 意外にも一般客でも利用できた冒険者の宿の一室。清潔なシーツが敷かれたベッドにごろんと寝転がった。

 

「かくなるうえは……

「紫鶴。昨日も言ったけれど、冒険者は危険すぎる。ここがだめでも他の街に行けば何か必ずあるはずなんだから」

「そう言って、本当に見つからなかったら行き倒れよ?それだけはだめ」

 

 紫鶴の言い分は十分に分かる。大抵の仕事は男性が重宝されるし、家族経営の雑貨店などでは人手が足りているというところがほとんどだ。西方諸国で広く信仰されている聖北の信者ではないから修道院もなし。そもそもリューンで仕事がないなら他の街に行っても仕事にありつけない可能性の方が高い。夜の仕事は論外だ。

 

「ここ、ちょうど冒険者の宿なんだし話を聞いてみるだけならしてもいいんじゃないかしら?」

……紫鶴がそういうなら」

 

 ご飯時を少しずらした一階の酒場は、賑やかに酒盛りが行われているテーブルと茶髪の男性(少年にも見える)が静かにグラスを傾けているカウンターとだいぶ温度差があるようだ。私たちが座るのはもちろんカウンターだ。好き好んで酔っ払いに関わり合いになりたい人など、正気じゃないか物好きのどちらかだ。

 

「どうも、亭主さん。一杯いただける?」

「私は紅茶とあげじゃがでお願いします」

 

 どうやら酒盛りをしているテーブルの注文は落ち着いているらしく、頼んだものはすぐに出てきた。まずはあげじゃがを一口。おいしい。

 一皿を二人で突きつつ、亭主と世間話に花を咲かせる紫鶴は頼もしい。私は紫鶴のように出会ったばかりの誰かと親しくは話せない。私が話すと探っているように聞こえるようなのだ。

 

「ところで亭主さん、冒険者ってどうなの?」

「お前さんたち、冒険者になるつもりなのか。一言で言ってしまえば不安定だな。依頼があるときはいいがないときはとことんない」

 

 亭主の話はおおむねあの御者と同じ話だった。しかしただ一点、仲間の存在だけは特に熱く語っている。亭主曰く、死ぬときは死ぬがそれは生きているものみんなそうだ。冒険者は他に比べて死亡率が高いが、突き詰めれば他の仕事だって変わらない。冒険者は仲間と行動することで自分の専門での分野での力を十分に発揮できるのだと。

 

「で、冒険者やるなら隣に好物件がいるんだがな?なあルーイ」

 

 と、ここで亭主が茶髪の少年に目を向けた。彼も冒険者だったらしい。風貌からして魔術師か盗賊か、どちらかだろう。彼は見た目にそぐわない深い青の瞳を持っていた。

 

「まあ、俺たちは二人ですけど。何かメリットあるんですか?」

「私は手先が器用で、この子は魔法のこと結構詳しいのよ。どう?ほしいと思わない?」

「紫鶴、言い方考えてよ」

 

 紫鶴の言い方は少々恥ずかしい。しかし茶髪の彼、ルーイにとっては一考の価値はあったらしく、顎に手を当てて思案しているようだ。

 そういえば、上手いこと話を流されてしまったがこれは冒険者になる方向に進んでしまっていると気付く。今更辞退するというのもおそらく(紫鶴と亭主のやりとりを聞くに)無理だ。

 これは腹を括るしかないかもしれない。

 

「ふむ、魔法知識が豊富な人物は冒険者やる上で重要ですよね。俺ももう一人も、魔法はどちらかというと苦手分野でして。」

「じゃあいいのね!?」

「はい。俺の連れには戻ってきたら言っておきます。改めて、ルーイと言います。よろしくお願いしますね」

 

 好意的な笑みを浮かべた彼は、たぶん笑顔を作ることに慣れている人間だ。そういう種類の笑顔だった。これは厄介な人を捕まえてしまったかもしれない。この時の私は、それ以上深くは考えていなかった。それを後悔する日が来るなんて知らずに。