夜の愛し子:Airi & Filomena


 昼下がり、リューンの商店街。紙袋を抱えて歩く二人の少女の姿があった。片方は桃色と若草色の変わった服を着た女性、もう一人は黒い髪と同じ色の三角耳をぴこぴこ揺らす獣人の少女。二人は並んで歩いているが、あまり親密そうには見えない。

 

「ねえアイリ、さっきもらったお菓子食べていい?」

「あなたいつの間に……きちんと夕食は食べてくださいよ」

 

 獣人の少女、フィロメナは器用に紙袋から焼き菓子を取り出し、口の中に放り込んだ。色の綺麗なそれはマカロンというようだ。料理が得意ではないアイリにはよくわからないが、綺麗に作ることが難しいらしい。

 

「そういえばさ、アイリの魔法カッコいいよね!こう、ぱりーん!ずぎゃーん!みたいな」

 

 紙袋を支えていない左手と大げさな効果音でなんとか所感を伝えようとしているのだが、大げさすぎて微妙に伝わりにくい。アイリにとって自身が使う魔法は地味な部類なのでなおさらだ。

 

「なんですかその効果音。あなたの魔法の方が、派手ですよ」

 

 フィロメナの扱う魔法はキラキラと輝く宝石のような、そんな印象をアイリは受けた。「魔法の矢」のようなものにしろ、標準的なものとはどこか違う気がする。個人差による魔力の質の違いだろうか。それにしては異質すぎる気も、と自分の世界に入りかける。

 

「僕のは昔からずっとこれだもん。神様からのプレゼントだし」

……神様?」

 

 ぽつりと呟かれた言葉に思わず足を止めた。神様。アイリには無縁とも言える存在である。アイリの主観ではあるが、そもそも魔法とはこの西方地域で広く信仰される聖北の教えとは相反しそうなものだ。それをプレゼントされたとはどういうことか。

 

「あなた、聖北教徒ではありませんね?」

 

 膝をつき、こっそりとフィロメナの耳元で囁く。リューンの街中で話題にするにはあまりにも危険な話題だ。宗教都市ラーデックほどではないにしろ、リューンにも信者は多くいる。過激な派閥の人間の耳に入ったらどうなるか……恐ろしくて考えたくもない。

 

「うん。こんなところで言うことじゃなかったね。ごめん」

 

 フィロメナはこうして、時々見た目の年齢にそぐわない物わかりの良さを見せる。十歳かそこらだろうか、冒険者をしているからには何か事情があるのだろう。彼女のそんなミステリアスな一面が、アイリの知的好奇心をくすぐるのだ。

 二人は何事もなかったかのように宿への道を進む。帰りつくまで、二人の間に会話はなかった。

 

 

 

 

「ねえアイリ、これすごいね」

 

 夕食の前に持っている魔導書を見せてほしい。そうお願いされ、秘密にするものでもないと自室に招いたのはついさっきのことだ。同室のシヅルはちょっとしたお使いを頼まれているらしく、部屋には二人きり。

 

「文字は不思議な形しててよくかわんないけど!」

「共通語とは何もかも違いますから。」

 

 何も知らない人間からすると、ベッドの上で少女が絵本の読み聞かせに耳を傾けているように見えるだろう。やっているのは魔導書の読み聞かせなのだが。

 

「んー、呪いを解く方法とか載ってないの?」

 

 呪い。物騒な単語が出てきたと思いフィロメナを見下ろすと、思ったより深刻そうな表情をしていた。しかし、呪いと一口に言っても様々。それは彼女もわかっているとアイリは思っていた。アイリが所持しているのは故郷の、実家から持ち出してきたものだ。東方の呪術とこちらの魔法では大きく異なることがあることもあり、アイリの持っている知識で解呪を行なうのは非常に危険。それを伝えるとフィロメナは見るからに落ち込んでしまった。

 アイリにはこういう時にどう声をかけていいのかわからない。シヅルがいれば、と少しだけ悔やんだ。

 

「僕はね、いくら理屈がわかったところで魔法が使えないんだ」

 

 ベッドで丸まって枕に顔を押し付ける彼女の表情はうかがえない。しかし声が震えていることはわかった。彼女の心中に渦巻くものは一体なんだろうか。怒り、悲しみ、それとも悔しさ?それのどれもが違うのかもしれない。

 

「神様はこれが加護だって言ったけど、鉄の籠に放り込まれたみたいだ。僕は、友達と大きくなることも、みんなが使うような魔法を使うこともできない。神様からもらったものばっかり」

 

 彼女の置かれている状況は、アイリの優秀な頭脳を持ってしてもどうにもできない。そう思わせるに十分だった。彼女を苛むのは、彼女自身の出生。そんなもの、一介の魔術師であるアイリにはどうにかできるはずがないのだから。

 

「フィロメナ、私から言えることはあまりありません。」

 

 ぐすぐすと感情がこぼれる音が聞こえる。今の時間だと、夕食までに目の赤みは取れるだろうか。

 

「でも、あなたは忘れていることがあります。魔術師は、今ある理論を使うだけではありません。既存のものが使えないのであれば、自分で組み上げてしまえばいい」

 

 先人たちや、世の研究者と同じように。フィロメナには、たっぷりと時間があるはずなのだから。

 

……もし、アイリが大事な人の帰りを待っているとしたら。いつまで待てる?」

「ずっと、その人が帰ってくるまで待ち続けますよ」

 

 ほぅ、と息を吐く声。彼女は詳しく語らない。アイリは神の存在など信じていなかったが、フィロメナの言う「神」はきっと存在しているのだろうと思った。

 神などいない。いたとしても信仰などしない。そうだとしても、フィロメナがいつか神のかごから解き放たれることを願わずにはいられなかった。

 

「そうですね。あなたの幸福を、流れ星を見たときにでもお願いしておきましょうか」