「エステル、元気出しなよ。他の宿も紹介してもらえたしさ」
空が赤く染まり、そろそろ夜の闇がリューンを覆おうかという頃。黒いケープのフードを目深に被った少女が白い翼を持つ女性に声をかけた。
エステルと呼ばれた女性は悔しそうに顔を歪め、少女の手を強く握りかえす。少女は特に気にする様子もなく、エステルの手を引いて歩いていく。
彼女たちは旅人だ。エステルは一緒にいる少女、フィロメナの目的のために旅をしてきた。ここ、交易都市リューンはたくさんの物と人、情報が集まる場所。そして困っている誰かの依頼をこなし、時に未知の遺跡へと出かけていく者たち、冒険者が拠点とする宿がたくさんある都市。
二人が必要としているのは情報だ。それも、あるかもわからない呪術、魔法の類の。それ故に、冒険者となってたくさんの人たちと交流を持つことがきっといいだろうと考えたのだ。しかし。
「性別で判断するのはおかしいよね!エステル強いもん。僕も一生懸命援護するし」
男ばかりの四人パーティーだった。彼らは冒険者になりたいというエステルに、女はいらないだの、そんなに金が欲しいのなら繁華街へ行けばいいなどと詰ったのだ。宿の亭主は男たちを一喝しそのことをエステルに詫びたが、その宿を拠点にしようという気はなくなっていた。
「紹介してもらった宿には女の子の冒険者もいるって言ってたじゃん。だから今度は大丈夫だよ」
エステルの前を歩くフィロメナからは少し笑った気配がした。普段からエステルは無口なのだが、先程の騒動で元気を失くしていると思われたのだろう。
もっとも、男たちはエステルだけでなく女児にしか見えないフィロメナのことも含めて言っていたのだが。それをわかっていたから何も言い返せなかったのだ。いくら経験を積んでいても、それはリューンの外での話。やはり外見で侮られるのは仕方のないことだ、とエステルは深く思った。
「えーっと、ここらへんかな?名前は確か…」
先ほどの宿よりリューンの中心部に近い区画。人通りも多く、雑貨店や飲食店もまだにぎわっている。あの亭主曰く、最近稼ぎ頭が帰ってこなくなったらしい。それは冒険者という仕事がいかに不安定であるかということを示している気がした。それでも彼女たちは止まるわけにはいかない理由がある。
「雛の揺り籠亭」
ふと目に留まった木の看板には、エステルが口にしたとおりの名が彫られていた。宿の中はどうやら騒がしいが、何かあったのだろうか。
フィロメナも看板に気付いたらしく、意気揚々とそちらへ歩を進めて扉を開けた。このときのフィロメナは新たな出会いに胸を高鳴らせていたはずだ。
* * * * *
扉を開けた二人の目に映ったのは、宿の入り口でうずくまる鎧を纏った男と倒れたテーブルや椅子。それから鎧の男に何かしたのであろう細身の男。他の人たちはその様子を遠巻きに眺めていたり、間が悪い時に訪れてしまったフィロメナとエステルを哀れみの目で見ていた。
「は、あんだけ息巻いてたのがこれか?他人を侮辱した上に弱い――見苦しいを通り越して呆れる。二度と僕の前に姿を見せるな」
鎧の男は逃げるように去り、赤いタートルネックの男は立ち尽くす二人に目もくれずカウンターの椅子に腰かけた。騒ぎが収まったことに安心した客たちが散らかったものをせっせと片づけ始め、エステルとフィロメナもそれを手伝うべく宿の中に足を踏み入れた。
「ごめんなさい、変なところ見せてしまったみたいで……」
二人に声をかけてきたのは、雛の揺り籠亭で給仕をしているという女性だ。割れた皿や料理を片付ける傍ら、彼女は先程の細身の男をちらりと見やった。
「ううん、気にしないよ!きっと僕たちの運が悪かっただけさ」
「でも、初めてくるお客さんにこんなことをさせるなんて申し訳なくて」
彼女が言うには、今日は偶然揉め事が起こってしまったが普段はもっと楽しげな笑い声で溢れる宿なのだという。最近この宿にやってきたあの男性が冒険者らしからぬ風貌をしていると絡んだ人がいたから、と給仕の娘さんはため息をついた。
「それで、あの人は鎧の人をはっ倒しちゃったわけかー」
うんうん、と納得した様子のフィロメナはどこか満足そうだ。昼間の一件を重ねて溜飲を下げたのかもしれない。
「ねえエステル、僕たちここでうまくやっていけるかもよ」
見た目で判断されるのを嫌う彼が睨みをきかせているようだから、少なくとも昼間に立ち寄った宿よりは過ごしやすいかも。そう言うが早いか、フィロメナは片付けの手を止めて宿の亭主のいるカウンターのほうへ駆けていった。
「え?あのー!……えっと、あの子はいいんですか?」
急に走っていったフィロメナを目で追う娘さんは困惑気味だ。エステルに気遣わしげな視線をやった。
それにエステルは動じず、片付けの手を止めることはない。フィロメナの思い立ったら即行動という姿勢は今に始まったことではないからだ。
「いつもああだから」
フィロメナのああした無邪気な姿を見て好意的に接してくれる人は少なくない。それに、「昔からそうだったのだから今更あの性格は変えられないだろう」というのが大きい。彼女はそういう意味では不変の存在だ。
ちらりとカウンターのほうへ目をやると、フィロメナが例の彼にちょっかいをかけているのが見える。対人能力はエステルよりフィロメナの方が数段上だ。今回も彼女に任せたほうがいいだろうとゴミを持って立ち上がる。
「ねえエステル!トゥールたんが仲間になっていいってさーー!」
「それ僕のことか⁉それにパーティーを組むなんて一言も言ってない!他のやつに相談させろと言っただろう!」
フィロメナが満面の笑みでピースをしている。トゥールと呼ばれた男性には申し訳ないが、彼女はなかなかに諦めが悪い。それに、彼女が気に入った人なのだからそう悪いようにはならないだろう。
エステルは呑気に、前向きにそう捉える中で、近いうちに彼とその仲間たちと行動するようになるのだろうという確信めいたものを感じていた。