好奇と厭悪の思考実験


 ――雨が降っている。

 雨というのは、しばしば心情を象徴するものであったり、不吉の現れだったりする。まあそんなものは詩的な表現で人を惹きつける作家や詩人が使うものであって、それとは何の縁もないアルトゥールにとってはただ空から降り流れるものにすぎない。

 様々な理由から忌み嫌われ、また望まれる雨を全身に受け、髪が重く垂れさがる。ゆったりと歩く彼は雨が嫌いではなかった。

 

 古書の返却。

 

なぜ金を払ってまで他人にやらせるのだろうか、と疑問に思うほど単純なお使いを終え、得た微々たる報酬の使い道を考えながら降りしきる雨の中を帰路についている。が、増していく雨足に辟易とした彼が大きな軒下に転がり込む頃には、雨に色がついたかと錯覚するほどだった。

 

「……この激しい雨なら、そう長くは降らないさ」

 

 しばらくは様子を見るかと息をついたアルトゥールに、言葉が投げかけられる。

 白い花だ。体つきに似合わぬ斧を背負い、樽の上に腰かけている。雨から自分へと目が向けられたアルトゥールは何も言わず一つ瞬きをした。

 

「こんばんは、綺麗な赤いバラだね」

「……こんばんは、ベツレヘムの星」

 

 意志持つ花、赤いバラと自分、胸に穴の開いた感覚――よくない思い出が頭をかすめ、思わずアルトゥールの眉根が寄る。

 人ではない二つの生命は、人を真似たあいさつをした。

 

「僕はあまな。隣町の冒険者だ。君はだあれ? ……取って食いはしないよ。」

「リューンの冒険者。……あんたに僕が食えるとは思えないが」

 

 花は、彼が放った侮辱とも取れる発言にただ首をかしげただけだった。

 

 

 冒険者とは。普段は絶対に交わさないであろう話題を、経験と主観から、二つの影が肯定と曖昧な否定を幾度か繰り返した。

 会話の間、わずかな沈黙を越えて花は「人外の冒険者についてどう思う」と問いかけた。

 アルトゥールはそもそもが人ではない。姿形こそ人間そのものだが、エルフの母と竜族の父を持つ、文字通りの人ならざる者だ。そして、人を嫌悪する者だ。「人間をどう思う」と問われたならば好ましくない、と答えたのだろう。

しかし、「人外の冒険者」となると、それはもう興味のないことだった。

 

「別に、特別視したことはないし。興味はないな」

「まあ、冒険者は冒険者だ。種族というのは些細なものかも。でも最近、増えてない?」

 

 たしかに、そう言われればそうかもしれなかった。普段行動を共にしているパーティーメンバーの半分以上が人外であるからして、感覚が狂っている自覚はある。

 リューンで人外の冒険者と言ってもそう珍しいものではない気もするし、アルトゥールが雛の揺り籠亭に来たばかりの頃はほとんど見かけなかった気もする。

 やはり、興味のないことなので上手く思い出せなかった。

 

「もちろん、僕自身もそうであるから人間以外の冒険者も歓迎さ。ただ他の人はどうなのかなって」

 

 沈黙。花にどう言われても特別興味は湧かなかった。今まで、人でないことで不自由したことがなかったから。アルトゥールが一見してわかる人外ではないからかもしれない。

 

「怪物と仲間、その区別をどうやっているのか。まだ学習が足りなくてね。それで隣町まで来て調べてたら、大雨に出くわしたというわけさ」

 

 人ならざるものたちは、先程のあいさつのように人の文化を模倣し感覚を近づけることで自身を仲間と主張している。そう花は言った。

 

「そうか。そんなの、自分に危害を加えない可能性が高いと思えるのが仲間。それ以外が怪物。それで済む話だろ」

「それだと、人間も怪物に入ってしまわないかい? ……今も一番数が多いのは人間かな。彼らはすごいね、敵味方を正確に区別する。」

 

 何か思い出したのか、そうだ、と呟いた花はどこからかにんじんを取り出した。

 

「見て見て。お手伝いしたらにんじんもらった。彼らは益をもたらした相手にお返しをしてくれるらしい。」

 

 そしてにんじんを齧りだした花を横目に、アルトゥールはこの花が敵と味方、どちらであるか思考する。

 彼の基準で考えると、世の中の大半は敵だ。自分に危害を加える可能性が低いなんてその人を良く知らなければわからないことであるし、そこまで人となりを知る機会がある人間なんてそういないからだ。だから、この花はまだ敵の範疇にいるのかもしれない。

 人間たちも、基準の程度は違うとしても根本的な判断基準は彼と同じはずだ。であるからして、人間が今まで怪物と言い恐れてきた存在を易々と受け入れられるとは、到底思えなかった。

 

「で、君はどう思う? ああ、人ならざるものが冒険者になることについてだ。」

「……わからない。心底どうでもいいし、どうあってほしいとも思わない。」

 

 自分を取り巻く環境が変わっても、周りの仲間や人間がどう変わろうとも、もう、どうでもいいと思った。やたらアルトゥールの隣にいたがるあの男は変わらないだろうと、そういう確信もあったから。

 

「……なるほど、また一つ賢くなれた。ありがとう。」

 

 ぺこりとまた頭を下げた花に、気にするなと言葉を返す。

 弱まった雨の向こうに、茶色い頭と三つ編み、あと腕の蔓が目を引く男が見えた。――かつての依頼人はアルトゥールに頭を下げ、花に手を振った。

 

 またどこかで会えたら、と再会の夢想を語り男の元へ走る花を見送る。二つの植物の姿は、かつて失った大切なものに似ていると思った。